ときわ鉄道情報局

鉄道車両に関する記事・鉄活動記録の他、模型の紹介なども掲載していきます。


京葉線の205系メルヘンは、205系のグループとしては後期に作られたグループでしたが、本格的な編成毎の置き換え、廃車としては一番最初となりました。

京葉線が海の側を走り塩害による老朽化もそれなりに進んでいたことと、やはり故障や列車の遅れなどもあったため、引退が他の線区より早まったようです。

引退した205系メルヘン、10両編成12本のうち10本は、4両編成に短縮され600番台に改造、小山車両センターに転属しましたが、残る2本の短縮化で余剰となった中間車は廃車となりました。



京葉線の205系には、メルヘン以外の205系も在籍していました。

これらは全て他線区からの転属車で、うち最初の2002年のに転入した1編成は、総武緩行線のE231系導入で捻出されたもので、その後転入した2編成は山手線E231系導入に伴う大転配によるものでした。

さらに、2005年には量産先行車の4本も京葉線に転入し、同線の103系と201系の試作編成を淘汰しました。

結果、205系転属組は10両編成7本となり、メルヘン12本と合わせて、京葉線の205系は10両編成19本(190両)の配置となりました。


京葉線205系の転入車は、103系などの置き換え用として導入され、基本的には外房線や内房線への運用はなかった為、110Km/h対応改造は行われませんでした。

転入車のうち4本は量産先行車で、側面窓が上段下降・下段上昇の2段式で、扉窓が小さいのが特徴でした。

2007年から2009年にかけて、2編成が短編成の上、武蔵野線用に転用されましたが、それ以外はE233系5000番台導入後に廃車となり、一部が富士急行に譲渡されました。


久留里線で走っていたキハ38です。

国鉄キハ35系の車体更新車で、台車や変速機などの主要機器はキハ35形からの派生部品を流用して作られました。

トイレなしとトイレ付きの2種類ありましたが、計7両が製造されました。

片運転台で、最小運行単位は2両となる為、この車両は必ず他の車両とペアを組んで運用されていました。

久留里線では最大勢力で、一番多く見かけた車両でした。


キハ38は、基本的にキハ35形のリニューアル車で、同じ通勤形機動車であることから、扉配置などもキハ35形と同じになっています。

前面はキハ35形と同じような貫通型で、車体は片側3扉の普通鋼製ですが、その構造はキハ37の設計をベースとしていました。

私が久留里線の列車を撮り始めた頃は、他のキハ35やキハ37同様、キハ38系も写真のような派手な塗装をしていましたが、個人的にはこの姿が一番馴染みがあります。


久留里線で運用されていた、キハ37です。

キハ37形は、国鉄末期にキハ40系の後継として登場した形式で、当時の赤字国鉄を反映して、製造・維持のコストダウンがコンセプトとされた車両です。

そもそも、幹線での長距離運用や連続高速運転などを考慮して作られたキハ40系は、地方ローカル線にとってはその構造や設備は過剰で製造コストも高く、燃費や維持コストもあまり良くない車両でした。

キハ40系では、居住性向上の為に車体の長さと幅を車両限界いっぱいに大きくしたのに対して、キハ37ではそれより一回り小さくしたサイズとし、エンジンも従来よりも小型で高性能、冷寒時始動性に優れたエンジン(DMF13S形)を採用しました。

キハ37は、1983年に先行量産車として5両が製造されましたが、その後は国鉄の地方交通線の廃止や第三セクターへの転換が進み、大量のキハ58系やキハ40系が余剰となり老朽車の置き換えに転用されたため、キハ37の本格量産が行われることはありませんでした。


キハ37形は1987年に5両が製造され、内3両が木更津に配置されて久留里線線や木原線で使用され、木原線がいすみ鉄道に転換された後は久留里線のみで運用されてきました。

片運転台式のため単行運転はできず、久留里線ではキハ38やキハ35塗装組んで使用されていました。

久留里線での運用は2012年11月末まで続きましたが、翌12月1日をもってキハE130形100番台に置き換えられ、廃車となりました。

その後は3両とも水島臨海鉄道に譲渡され、現在使用されています。


久留里線で活躍していたキハ30系です。

千葉地区にキハ30系が導入されたのは1962年のことで、900番代のステンレス車を含む49両が千葉気動車区に、24両が木更津支区に配置され、非電化時代の千葉ローカル輸送を支えていました。

房総各線の電化が進んだ後も久留里線・木原線用としてその一部が残り、木原線がいすみ鉄道に譲渡された後は、キハ37やキハ38に混ざって、キハ30が3両が運用されていました。

当時、朝や夕方のラッシュ時間帯を中心に運用されていた為、昼間に久留里線を訪れてもなかなかお目にかかる機会がありませんでした。



久留里線のキハ30は、1988年に当時建設中の東京湾横断道路(現在のアクアライン)にちなんだ塗装に変更になり、さらに1996年以降は新しい久留里線色で運用されていました。

しかしながら、2009年8月以降は順次旧国鉄色に戻され、2012年12月に引退するまでこの塗装で活躍しました。


写真は、2010年2月にイベント列車「思い出トレイン」として旧国鉄色2両編成で運転されたときに撮った写真です。

やはりキハ30はこの色が一番似合います。

最後まで残ったキハ30形3両は、引退後は1両がいすみ鉄道に引き取られ、残り2両は水島臨海鉄道に譲渡されました。


子供の頃、柏に住んでいたこともあり、103系とともに馴染みのある415系です。

401系・403系とともに常磐線の中距離電車として長年活躍してきた車両。

常磐線の取手以北の交流電化が始まった以降、ローズピンクの塗装で「赤電」と呼ばれ活躍してきましたが、1985年の「つくば万博」開催を機に、写真のようなアイボリーホワイトに青帯のデザインとなり、晩年まで運用されました。

この青帯は、常磐線中距離電車のラインカラーとしてE531系でも引き継がれています。

写真は馬橋駅で撮影したものです。